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平家物語 第5話「橋合戦」あらすじ&考察

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2022年1月12日よりフジテレビ「+Ultra」にて放映中、FODにて独占配信中のテレビアニメ「平家物語」。

その第5話「橋合戦」の考察・内容整理などを行っています。

注意事項
  • 「平家物語」初心者が書いています。あくまでも私個人の感想、ネタバレ、考察ですのであらかじめご了承ください。
  • 地上波では2022年1月12日より、フジテレビ「+Ultra」枠にて放送中。

 

 

 

平家物語 第5話「橋合戦」あらすじ

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重盛(CV櫻井孝宏)の亡きあと、福原に居を構える清盛(CV玄田哲章)は息子を失った喪失感で腑抜け状態となっていた。その機を逃さないとばかりに、後白河法皇(CV千葉繁)は清盛と重盛が管轄していた領地を取り上げる。それに怒った清盛は京へ攻め込み、クーデターを起こす。

一方、平家の頭領は重盛の弟・宗盛(むねもり/CV檜山修之)となり、同時に弟・知盛(とももり/CV木村昴)重衡(しげひら/CV宮崎遊)が戦での主導権を握ることになる。

新たに頭領となった宗盛は問題のある人間で、源仲綱という人から名馬を取り上げる。それに腹を立てた源頼政・仲綱親子は後白河法皇の息子・以仁王(もちひとおう)を担ぎ上げ、打倒平家のため挙兵する。

 

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出演(太字が今回のキーマン)
  • びわ(琵琶法師の娘)
  • 平清盛
  • 平時子(清盛の妻)
  • 平重盛(清盛の長男)
  • 平宗盛(清盛の三男)
  • 平知盛(清盛の四男)
  • 平重衡(清盛の五男)
  • 平徳子(清盛の娘・高倉天皇の中宮)
  • 平維盛(重盛の長男)
  • 平資盛(重盛の次男)
  • 平清経(重盛の三男)
  • 平有盛(重盛の四男)
  • 後白河法皇
  • 以仁王(後白河法皇の三男)
  • 高倉天皇(後白河の七男)
  • 安徳天皇(高倉天皇の息子)
  • 源頼政(以仁王側近)
  • 源仲綱(頼政の息子)

 

平家物語 第5話の考察(頭の整理)

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第5話もかなりスピードが速くてついていけないですね(笑)

でもみなさん。これだけはわかりますよね。重盛が亡くなってから急に状況が悪化しています。

重盛は清盛の暴走を止められる唯一の人間で、かろうじて朝廷との関係もうまくつないでいました。しかし抑え(重盛)がいなくなった平家と朝廷…つないでいた糸がプツンと切れてしまったら…もう最悪の道を進むしかありません。

重盛が生きていて、清盛が先に亡くなっていれば平家滅亡は回避できたのかもしれませんね…

さて、今回のお話では2つ重要なポイントがありますので、いったん頭を整理しましょう。

  1. 治承三年の政変:
    平家の領地(荘園)が後白河法皇に取り上げられて腹が立った清盛により起こされたクーデター
  2. 以仁王の挙兵:
    平家の頭領となった宗盛にいじめられた源氏が以仁王を担ぎ上げ、打倒平家を誓ったクーデター

 

第5話って何年の話?

第5話は治承3年(1179年)晩夏ごろ~治承4年(1180年)春ごろの話と推測しています。根拠は以下の通り。

 

①重盛亡きあと

冒頭では、重盛亡きあと喪服を着た息子たちが登場します。ミーンミーンとセミが鳴いているので、まだ夏っぽい。

4話の解説でも書きましたが、重盛が亡くなったのは治承3年(1179年)9月です。旧暦では7月になります。まだまだ9月は暑いので納得ですね。

 

②橋合戦

5話のタイトルに使われているとおり、作中後半で「橋合戦」が行われます。

橋合戦は治承4年4月ごろに起きたとされています。

 

荘園没収とクーデター

娘の盛子に続き、長男の重盛を亡くしてからというもの、父・清盛は福原に引きこもっていました。

「おまえは面白うないのう」と揶揄しながらも、立派に朝廷との橋渡し役を担っていた彼に清盛は頼っていたのです。

自分の抱える悩み事を相談できる唯一の子どもだったのかもしれませんね

そんなある日、清盛が悲嘆に暮れていると側近から聞いた後白河法皇は「これはチャンス」とばかりにある行動に出ます。

それは、平家が管理している荘園(貴族や寺社仏閣が所有している土地)を没収することでした。

没収する対象となったのは以下の2つ。

  • 藤原基実亡きあと、妻・盛子(清盛の娘)が管理していた財産や土地(実質、清盛の管理下に置かれていたもの)
  • 重盛の長男・維盛が相続した越前(現在の福井県)の土地

重盛がいなくなったことを機に一気に平家をつぶしてやろうと考えたのです。

これに加担していたのが、盛子(清盛の娘)の死別した夫(藤原基実)の弟・藤原基房(当時は高倉天皇の関白)でした。

勝手なことをする朝廷に腹を立てた清盛は急いで上京、クーデターを起こします。

それが「治承三年の政変」と呼ばれるものです。

このクーデターにより、

  • 朝廷の役人は解官
  • 関白・基房の流罪(出家して備前へ)
  • 後白河法皇の院政停止→鳥羽離宮へ幽閉
  • 高倉天皇の譲位(上皇へ)
  • 安徳天皇の即位(高倉天皇と徳子の息子)

が行われました。

これにより後白河法皇以下、多くの朝廷側の人間が平家に対し恨みをもつことになります。

 

次男・宗盛は愚鈍

長男・重盛亡きあと、平家の頭領となったのは三男・宗盛(むねもり)でした。

宗盛は清盛の継室・時子の長男です。徳子も時子の娘ですが、重盛とは異母兄弟です。

ちなみに清盛の次男・基盛はアニメには出てきません。なぜならアニメ開始時点で亡くなっているからです。重盛と同じ母をもつ人です(重盛・基盛は母が時子と異なる)

平家物語における宗盛という人は、清盛という権力の笠をかぶり愚かなふるまいをする人間だったそうです。

そのエピソードのひとつが「源仲綱」という人が保有する名馬を無理やり奪ったこと。

しかもその馬を奪うだけでは飽き足らず、「仲綱」という名前をつけたそうです。

 

以仁王のクーデター

源仲綱は宗盛に馬を奪われ、自身の名前をつけられた雪辱を晴らすために父・頼政、そして以仁王という人物を頼ります。

この以仁王という人は、後白河法皇の三男です。

アニメでは第二皇子と呼ばれていますね。どうやら本物の第二皇子が仏門に入ったから、繰り上がって第二皇子の扱いとなっているようですね。

ちなみに第一皇子の二条天皇は、平清盛が台頭するきっかけとなった「平治の乱」で後白河法皇と対立した人です

以仁王は順調にいけば天皇になれるはずだったのに、高倉天皇の実母・平滋子により阻害され、天皇につくことができなかった人物。

平家に恨みがあって当然ですね。

そこで、源頼政・仲綱親子と協働して打倒平家のクーデターを起こします。

それが「以仁王の挙兵」と呼ばれるものです。

その挙兵にあたり、以仁王は平氏と敵対する源氏や寺社に対し「令旨(りょうじ)」を下します。

令旨とは本来、皇太子や三后(太皇太后、皇太后、皇后)が命令を出すときに使う文書のことをさします。

皇太子でない以仁王が令旨を出すのはおかしい話なのですが、後白河法皇を廃し、朝廷を牛耳る平家に対し「本物の皇位継承者はこちらだ」と主張したかったんだろうと言われています。

ただ、この令旨が各地に出回っているため、すぐさま平家の耳に届いてしまい、以仁王は逆に追い込まれてしまいました。

以仁王は源氏の助けが来るまで園城寺(滋賀県大津市にある天台宗の寺/寺門系/三井寺のこと、朝廷と仲良し)に身をひそめていましたが、園城寺だけでは頼りないため、比叡山延暦寺・南都興福寺にも助けを求めます。

しかし、比叡山(天台宗山門系)はもともと平家とかかわりのある寺。それを逆手にとって、清盛は比叡山に近江米を二万石送っておき、円城寺を支援しないように先手を打っていたのです。

比叡山の助けを受けられないと困った以仁王は、奈良の興福寺を目指すなか、途中にある宇治の平等院(園城寺系の末寺)に入ります。

そこへ清盛が奇襲をかけ、橋合戦が行われることになりました。

総大将は知盛、補佐は重衡、そして戦いには重盛の長男・維盛が参加することになったのですが…。

 

橋合戦

橋合戦は平等院へとつながる宇治橋のうえで行われた合戦のことです。

宇治橋には平家28,000騎でつめかけ、源頼政(+園城寺系の僧兵たち)と戦いますが、橋の中腹の板を落とされていたため、200騎あまりが川へ転落。

また頼政軍には「矢切の但馬」という鎧も盾も持たず、矢を刀で跳ねのけるという屈強な男がいました。

おかげで平家は苦戦。かなりの痛手を負いました。

そこで重衡は総大将の知盛に提案します。橋を渡るのではなく、川をわたると。

その結果が功を奏し、

  • 源頼政・仲綱親子は平等院で自害
  • 以仁王は矢にあたって死亡
  • 園城寺は焼き討ち

となりました。

この合戦のあと、重衡は園城寺を焼き討ちにしてしまったことを後悔し、ちょっと落ち込みます。

重衡は夜の戦いで同志討ち…つまり夜闇で敵味方の見分けがつかず、平家同士で討伐しあうのを避けるため園城寺を焼き討ちにしたのですが、思ったよりも燃えてしまいショックを受けています

そしてもう一人ショックを受けた人が。重盛の長男、維盛です。彼はもともと武芸が苦手の風流人。

そんな維盛は橋合戦に参加し心に傷を負います。

殺した人たちの怨霊が見える…これは父・重盛の能力を少し持っているのかもしれませんね。

 

さて、この以仁王の挙兵はこれから繰り広げられる源平合戦「治承・寿永の乱」の初戦と位置付けられています。

ここから6年間、大きな戦いが幾度となく繰り返され、平家は滅亡していくのです。