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平家物語 第11話「諸行無常」あらすじ&考察

※当ページのリンクには広告が含まれています。あらかじめご了承ください。

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FODにて独占配信中のテレビアニメ「平家物語」。

その第11話「諸行無常」の考察・内容整理などを行っています。

注意事項
  • 「平家物語」初心者が書いています。あくまでも私個人の感想、ネタバレ、考察ですのであらかじめご了承ください。
  • 地上波では2022年1月12日~3月23日フジテレビ「+Ultra」枠にて放送。

 

 

 

平家物語 第11話「諸行無常」あらすじ

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四国の屋島(現在の香川県)から関門海峡にある彦島(現在の山口県)へと追われた平家。いよいよ追い詰められた彼らは瀬戸内海を制した朝廷側(源氏)と雌雄を決する戦に立ち向かう。

決戦地は壇ノ浦、渦巻く海の上で指揮を執るのは平知盛(CV木村昴)源義経(CV梶裕貴)。男と男の意地のぶつかりあい。そして巻き込まれる徳子(CV早見沙織)たち。

運命はもう決まっている。平家の滅亡だ。その瞬間を、彼らの生きざまを物語として語り継ぐべくびわ(CV悠木碧)はその両目に彼らの姿を刻み込む。

 

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出演(太字が今回のキーマン)
  • びわ(琵琶法師の娘)
  • 平時子(清盛の妻)
  • 平宗盛(清盛の三男)
  • 平知盛(清盛の四男)
  • 平徳子(清盛の娘・高倉天皇の中宮)
  • 平資盛(重盛の次男)
  • 後白河法皇
  • 安徳天皇(高倉天皇の息子)
  • 後鳥羽天皇(高倉天皇の息子)
  • 源頼朝
  • 北条政子(頼朝の妻)
  • 源義経
  • 弁慶
  • 静(白拍子)

 

平家物語 第11話の考察(頭の整理)

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さあ、いよいよ最終話「壇ノ浦の戦い」です!

たった11話しかない平家物語ですが、第1話は嘉応元年(1169年)の福原宴会でスタートし、最終話は寿永4年(1185年)「壇ノ浦の戦い」がメインとなっています。

こう見るとたった15年で平家が滅亡するという、なんとも無常な現実を突きつけられますね

みなさんご存じのとおり、平家物語は有名なフレーズから始まります。

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祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛きものもついには滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。 

諸行無常とは「物事は絶えず変化し続けている。永遠に同じものはない」ということ、そして盛者必衰とは「栄えていたものも必ずや衰退を迎える」ということを表しています。

これはまさに「平家のありかた」を的確にあらわしているフレーズではありますが、私たち現代人にも当てはまる考え方だと思っています。

私たち人間の内部では「ホメオスタシス(恒常性)」と呼ばれる機能が働いています。これは体温や免疫機能などを一定に保つためのもので、人間にとって不可欠なものです。

しかしこのホメオスタシスは体を維持するだけではなく、心理にも影響を与えていると言われています。

つまり私たちの頭のなかでは無意識に「居心地のよい環境にどっぷり浸かっていたい・心地よい状態を維持したい」という気持ちが常に働いており、時にこれが悪さをして変化を恐れるようになったり、驕(おご)りという形であらわれたりするのです。

よく言われている言葉を拝借すると「現状維持=退化」なのです。だから驕ったり努力を放棄せず私たちは前に進み変化し続けなければなりません。

なぜ現代までこの平家物語が語り継がれているのでしょうか?

もちろん過去を知るうえでの貴重な資料だから、かもしれません。ですがそれだけで国語の教科書に載ったりしません。

盛者必衰の理、私たちは風の前の塵と同じ。この考え方を常に持っていなさい、という強いメッセージを受け取ったから学校教育でも利用されているのではないでしょうか?

あなたは変化を恐れていませんか?現状維持は退化ですよ!

 

第11話って何年の話?

第11話は寿永4年(1185年)3月(旧暦)~文治2年(1186年)4月と推測しています。根拠は以下の通り。

①平家滅亡

10話の最後で決戦地・壇ノ浦へ。壇ノ浦の戦いは寿永4年(1185年)3月24日(旧暦)ごろに行われた合戦で、これにより平家が滅亡します。

 

②大原への行幸

11話の最後で後白河法皇が大原をお忍びで尋ねます。そこには壇ノ浦の戦い後、出家し尼僧となった建礼門院(平徳子)が住んでいます。

後白河法皇の大原行幸は文治2年(1186年)4月とされています。

 

決戦・壇ノ浦

源平の雌雄を決する決戦は最終地・壇ノ浦(現在の山口県下関市近海)へ。

源義経・武蔵坊弁慶ひきいる源氏の兵は3,000、迎え撃つのは総大将・平知盛ひきいる平家の兵1,000。船の上での合戦となります。

平家はもともと福原に居を構え、海を知り尽くした一族です。ですから源氏の兵力の1/3しかなくても船を使った戦には自信がありました。

陸地で戦いに挑むのは負けが早々に確定すると思い、沖合での合戦に持ち込んだのではないかと思います。

総大将の平知盛は船ごと源氏の船に体当たり!平氏の力技に源氏の兵は海へと投げ出されてしまいます。

 

関門海峡の渦潮

ところで、壇ノ浦の戦いでは「渦潮」がカギとなっています。

日本で見れる渦潮といえば鳴門…ですよね?

しかし日本ではほかにも大きな渦潮が見れる場所があります!

そのうちのひとつが壇ノ浦のある関門海峡なのです。

ちなみに日本三大潮流は鳴門(徳島県鳴門市付近)・来島(愛媛県今治市付近)・関門だそうです

下記、引用させていただきます。

潮流は1日4度も向きを変え、満潮時の流れは、瀬戸内海西端の周防灘(すおうなだ)から日本海・玄界灘側の響灘(ひびきなだ)への西方向で西流れといいます。逆に干潮時は、響灘から周防灘への東方向でその流れを東流れと呼んでいます。

【中略】

関門海峡の潮流の速さと複雑さ、さらに通行量の多さなどから海峡を通過する船舶は水先案内人(パイロット)の同乗が義務づけられています。海上交通センター(マーチス)が潮流放送、潮流信号などで海上事故を防いでいます。

(引用元:ニッポン旅マガジン

読んで字のごとくなのですが、この関門海峡は現在でも海上事故が起こりえるほど複雑な潮流であることがわかります。

この複雑で速い潮流、そして干潮・満潮による潮の満ち引きが関門海峡で大きな渦潮を作り出しているんですね

ちなみに満月や新月(とくに春や秋)のときは潮の満ち引きが大きくなり(=大潮)、結果渦潮の大きさも巨大になりやすいそうです。

壇ノ浦の戦いは春に行われた合戦であり、渦潮も大きく描かれているのが特徴です。

つまり旧暦の寿永4年(1185年)3月24日は満月もしくは新月の日であり、大潮だったのではないかと推測されています。(※諸説あります)

 

潮流が東向きから西向きへ

壇ノ浦の戦いがはじまったころは西に平家、東に源氏が陣取っていました。

つまりアニメで描かれているように、潮流は東向きで平家が源氏の船を壊したり、攻め落とすのに有利だったのです。

しかし先の説明にあった通り一日のうちで潮の流れは4回切り替わる関門海峡

平家有利と思われたのもつかの間、今度は東向きの潮流が西向きに変化し始めました。

そのタイミングで現れたのがイルカです。

宗盛の船に同乗していた陰陽師(おんようじ)が言うには、あのイルカが源氏方に向かえば源氏が滅び、平家に向かえば平家が滅びる…と。

占いって言ってますが、要はイルカは潮流に乗って西向きに移動し始めたのですね。

だから西側にいる平家の方にやってきたのです。

来るな!と願うも潮流・風向きなどの自然の摂理には逆らえません。

潮流・風向きを味方につけた源氏は一気に平家を攻めます。

源氏に味方する船、そして源氏に寝返る平家の者もあとを絶たず、平家の船は次々と沈められていきます。

 

平家滅亡

源平合戦勢いづく同時刻、一艘の小船に安徳天皇と母・徳子、そして徳子の母・時子がいました。

そこにはびわも同乗しています。

「もし源氏が勝てば安徳天皇は京へ連れていかれるだろう」と宗盛が徳子に伝えると、幼い御子の行く末に徳子は安堵します。

しかし母・時子はそれをゆるしませんでした。なんのために京から帝と三種の神器を連れてここまでやってきたのだと。

生き延びたところで、今後は惨めな思いを強いられると踏んだ彼女は、帝を連れて入水自殺を図ります。

ここからもう涙なしでは見られません。。。このシーン、胸が痛くて痛くて、何度見ても涙が流れます。

次々と海へ沈んでゆく傍遣えの女たち、そして徳子。

しかしびわには見えていたのです。徳子がこれからも生き、死んでいった平家の者たちを供養する未来が。

沈んでしまう前に引き上げられた徳子はびわの胸で泣き叫びます。

一方、沈んでゆく母・安徳天皇を見送った総大将・知盛も死を受け入れます。錨を体に巻いて海へ飛び込み入水自殺。それに続く平家のものたち。

あっぱれなほど男気溢れる知盛。かっこよかったです。

見るべきものをすべて見た、あるいは見送ったびわはこの合戦を最後に色を失いました。

母・浅葱の方から受け継いだ未来を見る目、重盛から譲り受けた過去を見る目も色あせて。

母・浅葱の方と同じように目が見えなくなったのではないかと思われます。

 

残った者たち

物語の最後では重盛の次男・資盛が生き残って平民となっている様子が描かれています。

また頭領だった宗盛は入水自殺を図りましたが、寸でのところで源氏にとらえられた描写がありました。

源氏の捕虜となり、のちに処刑されるようです

 

さて源平合戦を終えた1年後、後白河法皇は人知れず大原(現在の京都)へと向かいます。

古い庵に住むのは出家し、建礼門院となった平徳子

栄華を誇った平家が落ち延び、海の上で一門そして我が子を亡くした彼女が語るのは、まさしく「盛者必衰の理」です。まるで春の夜の夢をみていたかのような儚い栄華、そして塵のように散ってゆく命。

耐えがたい苦痛を強いられ苦悩していた徳子ですが、やがてそれらを受け入れ静かに祈りをささげます。

言い換えれば彼女に残された道はそれしかないのです。

一方、徳子の前に現れた後白河法皇も悲しみにとらわれている様子。

アニメでは彼の苦悩を明確に描いてはいませんが、自分の孫(安徳天皇)を失ったことや、平家一門を死なせてしまったこと、そして源氏の世に対する憂いなどが浮いているように感じます。

彼も気づいたのでしょうか。権力を握ったからといって必ず幸せになるわけではないこと、そしていつかは衰退して消えてゆくことに。

きっとこれは世の中の条理なのでしょう。

だから武家社会を超えて現代の日本人にも脈々と語り継がれているのです。

最後はびわと重盛が平家物語の冒頭を読み上げていますね。

彼が死ぬ前に望んだ「平家存続」は叶えられませんでしたが、生き残った徳子が、そしてすべてを見ていたびわが平家一門のために祈り、そして後世に伝えてくれます

最後の最後で櫻井さんの語りが聞けて良かったです。

ここまで全11話、個人的な勉強にお付き合いいただきありがとうございました。

皆様が平家物語を楽しめるようなお手伝いができていれば幸いです。