2021年9月15日よりFODにて独占配信中のテレビアニメ「平家物語」。
その第3話「鹿ケ谷の陰謀」の考察・内容整理などを行っています。
- 「平家物語」初心者が書いています。あくまでも私個人の感想、ネタバレ、考察ですのであらかじめご了承ください。
- 平重盛(CV櫻井孝宏)、平徳子(CV早見沙織)の二人をフォーカスしがち(鬼滅の水蟲推しだから)。
- 地上波では2022年1月より、フジテレビ「+Ultra」枠にて放送開始予定。
平家物語 第3話「鹿ケ谷の陰謀」あらすじ
娘の徳子(CV早見沙織)が天皇家に入内してから早6年、いまだ高倉天皇の子を授からないことを清盛(CV玄田哲章)は憂いていた。
そこで厳島神社に親族を呼び寄せ、徳子が子を授かるように祈りの場を設ける。しかし徳子が子を授からない理由は高倉天皇がほかの女人に惚れ込んでいるからだった。
一方、重盛(CV櫻井孝宏)は新たな騒動に巻き込まれていた。後白河法皇(CV千葉繁)の側近である西光の息子、藤原師高・師経兄弟が延暦寺系の寺に火をつけたのだ。
延暦寺の住職である明雲は怒り、師高・師経の処分を求めるものの西光はそれを認めない。結果的に延暦寺系の山法師たちが御輿をかつぎ朝廷に強訴し始める。
そしてこの一件のあと、後白河法皇・西光らは平家を打倒すべく鹿ケ谷で陰謀を図り事態は泥沼化する。
- びわ(琵琶法師の娘)
- 平清盛
- 平時子(清盛の妻)
- 平重盛(清盛の長男)
- 平徳子(清盛の娘・高倉天皇の中宮)
- 平維盛(重盛の長男)
- 平資盛(重盛の次男)
- 平清経(重盛の三男)
- 平有盛(重盛の四男)
- 後白河法皇
- 高倉天皇(後白河の息子)
- 西光(後白河の側近)
- 藤原師高(西光の息子)
- 藤原師経(西光の息子)
- 俊寛(後白河の側近)
- 藤原成親(後白河側近、重盛の義兄)
- 明雲(延暦寺住職)
平家物語 第3話の考察(頭の整理)
第3話からは、いよいよ朝廷(後白河法皇)と平家の対立関係が浮き彫りになってきます。
第2話の記事でも解説しましたが、この頃は寺院が武装するほどの力を持っていました。
寺院の中核を担っていたのは天台宗総本山・比叡山延暦寺。この延暦寺と朝廷は訳あって犬猿の仲でした。
さらに同じ天台宗でありながらも「山門派」の延暦寺と「寺門派」の園城寺が対立関係にあり、平家は延暦寺、後白河法皇は園城寺をそれぞれ支持していたようです。
これを覚えておくと理解がスムーズです!
第3話では事件が3つ起こっています。それぞれ解説します。
- 白山事件
- 安元の大火
- 鹿ケ谷の陰謀
第3話って何年の話?
第3話は安元3年(1177年)3月~6月ごろの話と推測しています。根拠は以下の通り。
①徳子が入内してから6年
3話の冒頭では、厳島神社で徳子のために祈りがささげられています。
この宴会後、重盛と会話していた異母弟・宗盛が「徳子が入内してから6年」と言っています。
徳子が入内したのは 承安元年(1171年)12月14日ですので、そこから6年と計算すると、安元3年(1177年、8月より治承元年)となります。
単純計算すると1177年12月となりますが、厳島神社での滞在は春なので承安元年(1177年)3月ごろと考えてよいでしょう。
宗盛はおそらく「入内して6年目」という意味で言ったのだと思います。
②白山事件~鹿ケ谷の陰謀
後白河法皇の側近、西光の息子たちが起こした「白山事件」は安元3年(1177年)3月、それに続く「安元の大火」は4月28日、「鹿ケ谷の陰謀」は6月に起こったとされています。
白山事件
徳子が入内して6年目の春「嘉応の強訴」の後始末で延暦寺に出向いていた重盛は、延暦寺の住職・明雲から驚くべき事実を知らされます。
それは「藤原師高・師経兄弟が、白山(石川と岐阜にまたがる活火山)にある延暦寺系の末寺を焼いた」とのことでした。
どうやら師経が「湯あみしたい」と寺に無理を言い、断られたのでお兄ちゃん(師高)と一緒に火をつけちゃったそうです。
とんでもねえ貴族だな…
それに怒った白山の寺の僧侶が総大将の延暦寺に相談。
当時、師高・師経兄弟は加賀国(現在の石川県)の知事をしていましたから、明雲をはじめとする延暦寺系の僧侶たちが「それをやめさせて島流しにしろ!」と激高したんですね。
ところが、この火を付けた兄弟…西光という人物の息子だったんです。
西光というのは後白河法皇の側近です。
それでなくとも延暦寺と仲の悪い後白河法皇ですから、延暦寺の住職・明雲のいうことを聞きたくなかったのです。
結局、西光の息子たちには何の処分も下されなかったため、山門(延暦寺系)の僧侶(山法師)は御輿をかついで朝廷に強訴しはじめました。強訴を恐れた後白河法皇は重盛に「朝廷の門をくぐらせるな」と命じます。
しかし、その重盛の胸中は複雑なものでした。
当時、重盛は朝廷で内大臣をつとめていました。つまり朝廷に忠義を尽くす立場です。しかし一方で平家は清盛の出家で延暦寺の世話になっているので、延暦寺も敵に回したくありません。
だからこそ両方を守るため、強訴にやってきた山法師たちや、神聖な御輿を射抜かぬように部下に命じます。
できれば弓矢や刀を交えないよう、追い返す(おどす)だけで決着をつけたかったようです
しかしながら統率はなかなか取れないものです。山法師たちが攻めてくるのをみれば、矢を放つ武士も出てきますよね。重盛の願いもむなしく弓矢は御輿を傷つけ、山法師たちもたくさん犠牲になってしまいました。
白山事件の顛末はアニメのなかで描かれていませんが、Wikipediaによるとこう書かれています。
師高(←白山の寺に火を放った張本人、加賀国の知事)の尾張国への配流、神輿に矢を射た重盛の家人の拘禁が決定、大衆の要求を全面的に受諾することで事件は決着する。父親の西光については一時配流が決定された(『愚昧記』4月15日条)が、実際には後白河の取り成しを大衆側が受け入れる形で許されることになった。
つまり、後白河法皇が折れて山法師の要求をのみ西光の息子を処分したので、西光についてはお許しをもらったということです。
安元の大火
白山事件が起こってからすぐ、京は大きな火事にみまわれます。
これは俗に「安元の大火」と呼ばれるもので、多くの貴族の屋敷が焼け落ちたといわれています。
このなかには重盛の屋敷も含まれており、重盛は
御輿を射たバチか…
とつぶやいています。
まあそう考えてしまいますよね…間にはさまれて重盛様がかわいそうすぎませんか…
鹿ケ谷の陰謀
さて安元の大火に見舞われてから約ひと月後、鹿ケ谷に人が集まっています。明確にわかる人は
- 後白河法皇
- 西光
- 俊寛
- 藤原成親:重盛の義兄
- 多田行綱(作中で焦っている人)
ですね。
第2話で話題にあげた「嘉応の強訴」で重盛の義兄・藤原成親は一度、流配されていますが、後白河法皇の側近であるため、数日後には流配を解かれて戻ってきています。
それからアニメでは全然描かれていませんが、「安元の大火」のあと実際には様々な問題が発生しています。
そのうちの一つが、延暦寺住職・明雲の処遇について。
後白河法皇はどうしても延暦寺の勢力をそぎたいので、明雲を住職の座から引きずりおろし、ひっ捕らえるよう指示します。
罪状は「嘉応の強訴」や「白山事件」を引き起こした(扇動した?)責任だそうです…
しかし、明雲が連行されている間に山法師たちが明雲の身柄を奪還!
それに立腹した後白河法皇は比叡山と全面戦争をしかけるように重盛たちに指示します。
平家は比叡山と親密なので争いたくありません。そこで重盛は清盛に相談。清盛が上京して後白河法皇をなだめるのですが、言うことを聞かざるを得なくなったそうです。
この時点で、清盛は比叡山総攻撃の準備をしている状況になります
という状況を踏まえて鹿ケ谷(俊寛の別邸)での密談シーンです。
俊寛や西光、藤原成親(←重盛の義兄なのに加わってる)といった後白河法皇の側近が平家の「朝廷での勢力が増していること」「比叡山と懇意にしていること」について不平不満をもらしています。
そこで、俊寛が「打倒平家」を打ち出します。
そのために先の戦(平時の乱)で賊軍(朝廷の敵)となって流罪になっていた源頼朝を担ぎ上げようというのです。それが「鹿ケ谷の陰謀」と呼ばれるものです。
しかし、その場にいた多田行綱は恐れをなして清盛へ密告。怒った清盛は比叡山への総攻撃をとりやめ、俊寛・西光をとらえて拷問します。
ここでは重盛の義兄・藤原成親も捕らえられており、清盛は後白河法皇までとらえるつもりです
重盛は後白河法皇をとらえようとする父・清盛を止めるため兵士を集め、六波羅の屋敷に出向くというところで3話は終了します。
結局、清盛は西光・俊寛ら鹿ケ谷の密議にかかわった人物を斬首・流配しましたが、後白河法皇へは手を出さなかったようです。
しかし、この一件で後白河法皇は側近を失い、清盛との確執は深まるのです。